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友情結婚のための最低限の法律知識1

友情結婚を成功させたい」の記事で、

私は、友情結婚を成功させるために、
結婚生活に対する最低限の認識を持つことを目標に
したいと書きました。


具体的には、まず

1.婚姻から生じる法律上の効果や義務の整理

2.一般的に、結婚生活に伴う現在から将来までの様々な
時間的、経済的、精神的負担についての整理


をしたいと考えています。


1の法律の話については、これは結構しっかり勉強する
必要があると思っています。


というのも、友情結婚をしようと考えている人の
ほとんどは、法律婚(役所に婚姻届を出す結婚)をする
ことを望んでいると思うからです。



事実婚(婚姻届を出さない内縁関係や同棲生活)である
友情結婚をしたい、とはっきり書いて意思表示をしている
人は、友情結婚の相手募集の掲示板でも見かけたことが
ありません。



事実婚ならば、極論をすれば、どんな男女関係を結ぼう
と自由です。


そもそも、国は、法律婚をしている夫婦ではない男女の
関係に対し、いちいち介入しません。


振った、振られたとか、彼氏や彼女を友達に取られた
とか、そんな話については、国は「好きにしてくれ」と
いう態度でしょうし、大半の国民も「好きにさせてくれ」
と考えていると思います。



純情ではない男女の関係に関しても、国は基本的にスルー
します。


バブル時代の死語で、アッシー君、メッシー君、貢ぐ君
という言葉があり、最近では「機能別彼氏」という言葉
を聞くこともあります。


私は、か弱い男の一人として、男性を道具扱いする女性
に対しては大きな怒りを感じますが、このような男女の
関係に対して国が規制をしたことはありませんでしたし、
また、規制をするのは、お節介でバカらしいと考える
国民が大半でしょう。


国が結婚していない男女の関係に対して介入する例として
私が今思いつくのは、未成年者の保護の観点からの規制や
消費者保護の観点からのデート商法などに対する規制くらい
です。
なお、男女間の暴行や傷害などの犯罪は全く別の問題です。



したがって、事実婚である友情結婚であれば、どんな
結婚生活を送ろうと自由なのです。

お互いに同性のパートナーがいても特に問題はないと
思われますし、ずっと別居であってもいいでしょうし、
夫婦が完全に別会計であっても構わないでしょう。


よって、性的マイノリティとして自由に生きつつ、
男女の結婚生活も同時に送りたいと考える人は、本来は、
事実婚である友情結婚をすることを第一に検討すべき
であると考えます。


もっとも、事実婚である友情結婚による結婚生活を
送ることは個人の自由であることと、その結婚生活が
法的に保護されるべき男女の結合関係であると裁判所から
評価されるかどうかは、別の問題です。


共同生活の実態の伴わない事実婚であれば、法的な保護
を受けられる見込みは薄いでしょう。


参考までに、最高裁判所は、

男性Aと女性Bの間で、

1.共同生活をしたことがない、2.それぞれが自己の
生計を維持管理している、3.共有する財産がない、

4.女性Bは、男性Aとの間に2人の子を出産したものの、
子の養育には一切かかわったことがなく、出産の際には、
A側から出産費用等として相当額のお金を受け取っている、

5.両者は意図的に法律上の婚姻を回避している、
6.両者の間に、相手方に無断でその関係から離脱しては
ならない旨の関係存続に関する合意がされた形跡はない、

などの事情の下においては、Aが、両者の関係を突然かつ
一方的に解消し、他の女性と婚姻したことをもって、Bに
慰謝料請求権は発生しない、と示しました。

損害賠償請求事件[平成16年11月18日]



さて、事実婚である友情結婚をすることについて考える
際に重要なことは、どんな男女関係を結んでも自由である
ということと同時に、

「事実婚である友情結婚に対してどのように評価するか
ということもまた、周囲の人の自由である」ということ
です。


先ほどの、アッシー君、メッシー君、貢ぐ君の例で言えば、
私のように女性側に対し怒りを感じる人もいれば、
「利用される男の方が悪い」と思う人もいるでしょう。


同様に、事実婚である友情結婚に対しても、周囲の人から
様々な評価を受けることと思います。


ところで、私のいう「周囲の人」というのは、個人に限らず
私法人その他の私的な集団も含みます。


例えば、あなたの勤務先は、事実婚である友情結婚をどの
ように評価するでしょうか。

評価の内容によっては、思わぬ法律外の「効果」を生む
ことがあり、それがトラブルのもとになる場合も考えられます。


1つ例を示します。

会社によっては、法律婚に限らず、事実婚であっても
異性のパートナーがいる従業員に対して、配偶者扶養手当の
ようなものを支給する会社もあるでしょう。


事実婚である友情結婚をしている従業員が配偶者扶養手当を
受けたとして、その従業員と配偶者の両方が同性のパートナー
を持ちながら結婚生活を送っていることを会社が知ったとき、
会社はどのような対応をするでしょうか。


「そんな結婚生活は普通の結婚生活とかけ離れており、
配偶者扶養手当の支給の対象ではない」

として、今まで支給した手当を返すよう請求してくる
会社もあれば、

「異性のパートナーと生計を共にしているのであれば、
配偶者扶養手当の支給の対象である」

として、そのまま手当を支給し続ける会社もあるでしょう
けれども、どう判断するかは会社の側の自由です。



このように考えると、自分の周囲の人が受け入れて
くれるのであれば、異性と事実婚である友情結婚をしつつ、
同性のパートナーも持ちながら自由に暮らすのも悪くない
ように思えます。

税制は事実婚に厳しいですが、社会保障制度の中は事実婚
にも適用のあるものがありますし。



・・・


ここまで読んでくださった性的マイノリティの当事者の
皆さんは、どういう感想を持ちましたか。


「友情結婚を望む性的マイノリティの考えが分かってない」

と感じた方もいるはずです。



友情結婚をしようと考える人の中には、そもそも、


「事実婚じゃ社会的信用を得られない」

「事実婚じゃ親を安心させられない」

「なぜ法律婚をしないのか問われたときに、答えるのが
いちいち面倒だ」

「結局、異性との事実婚では同性愛のカモフラージュ
としては不十分だ」

「異性との事実婚の生活をしながら性的指向を隠し続ける
多大な労力を掛けるくらいなら、独身のままの方が楽だ」


だから、法律婚による友情結婚が自分には必要なのだ、
と考えて、事実婚の可能性はないと判断した人や、
事実婚については端から考えてなかった人がほとんど
を占めるのだと思います。
(なかなかに自分勝手な理屈ですが・・・)


逆に言うと、世間もあなたも、法律婚制度を信用している
ということなのでしょう。


以下、法律婚である友情結婚の話に移ります。


夫婦の関係は人それぞれですが、法律婚をした男女は、
法律婚をしていない男女の関係とは異なり、法律上の
権利や義務が与えられ、世間も、法律婚をしている夫婦
ならば、そうした法律上の権利を行使し、義務を果たして
いるのだろうと信用するでしょう。



それでは、

「法律婚をした後も同性のパートナーを持つ」

とか

「夫婦は基本的に別居する」

といった比較的多くの友情結婚を希望する者が結婚の条件
として掲げる事柄について、これらは法律婚をした夫婦の
義務に違反しないのか、

また、あらかじめ上記のような事柄についてお互いに合意
した上での法律婚であれば義務違反にはならないのか、
次に検討します。


こうした検討を一つ一つ積み重ねていくことは、意地悪な
人から友情結婚を邪魔される事態を防ぐために、また、
自分自身が犯罪者にならないためにとても重要です。



さて、「犯罪者にならないために」と書きましたが、
これについて簡単に書いて、今回の記事を終わります。


先に書いたように、法律婚には一定の信用があり、法律婚を
したことを記録する戸籍簿にも信用があります。戸籍簿の
信用を害することは、公共の信用を害することであり、
許されません。



刑法157条1項(公正証書原本不実記載等の罪)は、

「公務員に対し虚偽の申立てをして、登記簿、戸籍簿・・・の原本に不実の記載をさせ・・・た者は、5年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」

と定めており、法律に従って婚姻をする意思がないのに
婚姻届を役所に出し、戸籍簿に「○○の戸籍に入籍した」
旨の記載をさせることは、これに該当すると考えられ
ます。

先ほど、お互いの合意があればナントカと書きましたが、
お互いの合意があるともっとマズいでしょう。


友情結婚のような標準的でない婚姻をしようとする人は、
後で自分が損をしないために、法律上の婚姻について
学ぶ必要があるのです。


次回以降、法律上の婚姻の成立とその効果について
民法の規定をもとに書いていきます。


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逃げ方のマナー

『学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。』

鎌倉市図書館のツイートが反響を呼んでいます。

私はテレビ朝日「報道ステーション」を見て知りました。


とても素敵なツイートだと思いました。


「9月1日は、児童生徒の自殺者が多い日である。」

という事実に基づいて、各報道機関が子どもたちに対して
メッセージを送るのは、意義のあることだと思います。

しかし、これらのメッセージを子どもたちが適切に
受け取ることができるか、疑問も残りました。


第1に、自殺に関する報道がかえって児童生徒の自殺を
助長するのではないかという疑問ですが、これについて
はここでは詳しく述べません。


第2に、児童生徒たちに「逃げるしかない」との考えを
抱かせる結果を招かないか、という疑問です。

別に、辛い辛い学校生活から必ず逃げなければならない
わけではないでしょう。

逃げるのではなく、立ち向かって戦ってもいいし、ただ
我慢して耐えてもいいのですから。


たしかに、「死ぬしかない」と思っている児童生徒に
対して逃げるという選択肢を示したことは、とても意義の
あることです。


しかしながら、他の選択肢が示された後、周囲の大人の
フォローがないと、児童生徒たち自身の問題解決能力を
高めることはできないでしょう。


例えば、親子の間で、

子「明日学校に行くのが辛い。」

親「どうして?」

子「夏休みの宿題が終わってないから。」

親「宿題が終わってなくて、先生に怒られるのが怖いから
  学校に行きたくないということかな。」

子「そう。」

親「どうすればいいと思う?」

子「明日までにできるところをやる。」

親「全部終わってないことに変わりはないけれど、少し
  でも多く宿題に取り組んだことにしたいんだね。
  明日先生に怒られないようにするために、他に
  できることはあるかな?」

子「・・・」

親「私なら、他の大人もそうすると思うんだけど、今日の
  うちに先生に電話して、どうすればいいか聞くかな。」

子「今日怒られるってこと?」

親「電話で怒られるかもしれないね。でも、明日いきなり
  出来上がってない宿題を見せるよりは怒られなくて
  済むんじゃないかな。」

子「電話で何て話せばいいのかわからない。」

親「これから2人でちょっと練習してみようか。」

・・・


というような具体的な対話をしないで、いきなり9月1日
に子どもが学校を無断欠席して図書館に逃げてしまっては、
もったいないなと私は思います。


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高校球児がカントリーロードを歌う意味

今日は、お盆ということで家族と居間でなんとなく
高校野球を見ていました。


第11日 第3試合 3回戦
仙台育英(宮城) - 花巻東(岩手)

の試合で、2回表の後の攻守交替の合間に、

どちらの学校の応援席かは不明ですが
「カントリーロード」の冒頭部分を絶叫で歌って
いました。


1試合まるごと動画(仙台育英-花巻東) - 第97回選手権大会:バーチャル高校野球(朝日新聞デジタル × 朝日放送)

(動画の32分30秒すぎ)


「カントリーロード この道 ずっとゆけば
あの街に つづいてる気がする カントリーロード」


「なぜカントリーロード? しかもキーが高すぎて
声出てないし。」


家族はケラケラ笑っていましたが、私は好ましい
選曲だと思いました。


----

長距離バスに揺られて甲子園球場までやってくる
選手たちにとって、バスがたどる道は、まさに
甲子園と東北の地元を結ぶ道である。


そして、応援の中では歌われないが、曲の後半には

「カントリーロード この道 故郷に続いても
僕は行かないさ 行けない カントリーロード」

とある。
栄冠を手にするまでは地元には帰らない、と弱気
になりそうな自分を励ましているのだ。

素晴らしい応援歌だと思う。


もっと遠い県、たとえば北海道や沖縄となると
バスではなく飛行機を使うはずだから、甲子園と
地元を結ぶ道を体で実感することはできない。


そうすると、東北から遠路バスでやってきた彼らが
甲子園で歌う曲としてカントリーロードを選んだの
は、まさに彼らの野球部での活動を通じた実感から
生まれた選曲であり、


また、甲子園球場でカントリーロードを歌うのに
最もふさわしいのも彼らであると確信する。

-----


・・・我ながら美しい解釈だ、と思っていたのは
2秒くらいで、すぐに「なんかおかしい」と思い、
調べてみました。


だいたい、私が情緒的で耳障りのいいことを考え
ついたときは、たいてい間違っているのです。


そして、調べたらやっぱり間違っていました。



まず、選手が東北から甲子園までバスで来るという
のが間違いでした。


-----
第97回全国高等学校野球選手権大会 開催要項

13.出場選手の旅費、滞在費補助規定

全国大会 1校20人(選手18人、責任教師1人、監督1人)を限度とし、参加者には次の通り旅費と滞在費を支給する。
(イ) 旅費は代表校の所在地から大阪までの往復普通乗車運賃(新幹線、特急、急行料金を含む)、船舶利用の場合は普通二等の乗船運賃を支給する。ただし、沖縄、南北北海道代表校は航空運賃を支給する。

(以下 略)
-----


選手たちには新幹線の旅費が支給されるようです。

ベンチ入りできなかった野球部員を含む応援団は
たぶんバスで甲子園まで来るんでしょうけれども。


そして、カントリーロードを選んだことも、
彼らの野球部での活動を通じた実感からの選曲と
いうよりは、

「サッカーのベガルタ仙台の応援の模倣である」

という説明の方が納得感がある気がします。





なんだかよく分からなくなってきました。


そもそも、部外者である私が、本人たちに何も
聞くことなしに彼らの行為の意味を解釈すること
自体に無理があったのかもしれません。

勝手解釈は、ついついやってしまいがちですけど。


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又吉直樹「火花」の感想 7/22追記

芥川賞を受賞した又吉直樹さんの「火花」は、
書店に行っても売り切れで、それでも仕事が休みの
今日のうちに読みたいと思い、電子書籍(アマゾンの
Kindle)版を買って読みました。


読んでいて、後半から涙が止まりませんでした。

涙が止まらなかったというのは大げさで、正確に言うと
断続的に涙が出ました。


涙が出る類の作品だとは聞いていなかったので、
自分でも意外に思いましたし、加えて、


「私の感情を揺さぶる本は、紙に印刷されたものに限る」


と今までずっと思っていましたので、
液晶ディスプレイに表示される物語を読んで涙する
という体験は、私の固定観念を覆すものでした。


それで、私がどのような理由で泣いたのかですが、

私自身よくわかりません。


でも、「感動して泣いた」というのとは違う気がして
います。



「1行1行にとてもコストがかかっている感じがした」

との芥川賞の選考委員のコメントに、私は深く納得する
次第です。


笑いを極めるという、雲をつかむような営みに若い頃の
時間と情熱を費やした登場人物たちの物語が、無駄ばかり
の青春を過ごし、みっともないいまを生きる私の心を浄化
してくれるような気がしました。


そうすると、私の涙は、ある種の感謝の涙なのかとも
思います。


又吉さんの次の作品にも期待しています。
「火花」は、男性目線で書かれた印象を受けました。
違った毛色の作品を読んでみたい気もしますが、男社会の
中のごく狭い関係を書いたものとして面白く読むことが
できましたので、やっぱりこの路線がいいのかなとも
思います。



ところで、本作は20歳の主人公が30歳になるまでを
書いた作品で、もうひとつの芥川賞受賞作「スクラップ
アンドビルド」の主人公は28歳だそうですが、両方
とも青春小説と評されているようです。


ひょっとして青春小説も高齢化しているのかと思うと、
いまいち大人になりきれない気のする私は、少しばかり
安心するのでした。


-----
2015年7月22日 追記


昨日は、久しぶりに心を動かされる読書体験ができた
ので、ついつい気分よく記事を書いただけで終わり
ましたが、若干の補足をします。



「読む人を選ぶ本かな」


と思います。

私は涙しましたが、
それは、私の体調によるものだったのかもしれませんし、
昔好きで読んだピカレスク小説にどこか似た雰囲気を
感じたのか、私自身と物語の主人公とに共通する部分を
見つけたからなのか、やっぱり分かりません。


私が、明日からまた嫌な職場に行くための元気を本書から
もらったのは確かですが、誰の心にも印象に残る類の本
ではないかもしれません。


それよりも、このブログを読んでくださっている
セクシャルマイノリティの方に向けて、「火花」に
関する大事な補足があります。


セクシャルマイノリティの方の中には、「火花」のラスト
を読んだらがっかりする方もいるかと思います。


思えば、「神谷さん」が最初に登場したときも、女言葉で
漫才をしていたのでした。



私がふと感じたのは、

「笑いは、男尊女卑の要素を含むのかもしれない。」

ということです。


女性的な言動や服装をする男性(元男性を含む)の芸能人
やタレントはいますが、逆のパターンを私はほとんど
知りません。


宝塚歌劇団の男役の女優さんくらいしか思いつかないです
し、彼女たちにせよ、お笑いの文脈には出てこないのでは
ないでしょうか。


相対的に女より上の地位にいるはずの男が、あえて地位を
下げて女として振舞うからそこに笑いが生まれるのかなと。



やっぱり、又吉さんには別の路線の物語も書いてほしいと
思います。


「笑いの中の男尊女卑の構造を、分析し明らかにした上で、
嫌味のない形で世間に提示し、それをぶち壊す」

又吉さんならそれができるかもしれないと思いました。
コントでも小説でも何でも構いません。
どんなものができ上がるか見てみたいです。


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私が走る理由

今年度は、いったい何度走ったか分かりません。


「市民マラソンに出場した」回数とか、そういう格好いい
話ではなく、

「出勤時に、自宅から職場まで走った」回数のことです。


私は田舎に住んでおり、通勤のバスに乗り遅れると、
職場までタクシーに乗るか、走って通勤することになります。


今年度は冬場に雪の日が多く、タクシーを呼んでもなかなか
来てくれないため、職場までの3キロ弱の道のりを走った
日が多くありました。


「少し早めに家を出ればいいだけなのでは?」

と思う方がいるかもしれません。

そう、おっしゃるとおりです。
とても単純な話なのです。


でも、その単純なことがなぜかできません。


私は、中学生までは、集合時間に余裕をもって着くように
行動できる子どもでした。

しかし、高校生になってから、時間ギリギリか数分遅れて
着くという悪い習慣が身に付いてしまい、30歳となった
今も悪い習慣が抜けません。

さすがに職場に遅刻することはありませんけれども。


その悪い習慣がついてしまったきっかけは分かっています。


高校に入学して、私はクラスに友人ができませんでした。

そのため、朝の始業前の教室の雰囲気が、私にはたまらなく
辛かったのです。

朝、教室に入ると、クラスの皆は担任の先生が教室に入るまで
友達と談笑しているのに、私だけ一人ぼっちでした。


孤独感ももちろんありましたが、それ以上に、

「一人で浮いていると、いじめの標的になるかもしれない。」

「クラスになじめない生徒として先生にマークされてしまう
 かもしれない。」

という不安の方が強かったと思います。


休み時間は、適当に一人でどこかに隠れていればいいのだけれど、
朝の始業前はそういうわけにもいかない・・・

「朝の教室に一人ぼっちでいる状況をなんとかしたい。」


そこで、私が実行した解決策は、驚くほど情けないものでした。

それは、「始業時間ギリギリに登校する」というものです。

そうすれば、少なくとも担任の先生には一人で浮いている様子を
見られることはない、と考えました。

私は徒歩で高校まで通っていたので、歩く速さを調節すれば
簡単なことのように思われました。



私の作戦は的中しました。

はじめのうちは、担任の先生とほぼ同時に教室に入ることができて
いたのです。


ところが、次第に先生とタイミングが合わず、先生よりも遅れて
教室に入る日が増えてきました。

そればかりか、だんだん家を出る時間が遅くなっていき、走って
登校しないとと始業ギリギリの時間に間に合わないようになり
ました。


「始業より早く着きたくない、でも、遅刻もしたくない。」


不真面目なのか真面目なのか分かりませんが、私は毎日走って
登校していました。

担任の先生よりも早く教室に入れることもあれば、2分ほど
遅れて教室に入ることも多々ありました。



走っている最中に、足がもつれて転んだことが何度かあります。

砂埃にまみれて教室に入るのは恥ずかしくて、

「もっと余裕をもってギリギリに着けるようにしよう。」

と反省はしていたのですが、

そもそも「余裕をもってギリギリに着く」という反省の内容が
すでに日本語として破綻しているからなのか、反省が生かされ
ることはありませんでした。


私としては、
「クラスに話し相手がいない、いじめられるかもしれない。」
という不安の中で、なんとか自分を保つために精一杯だったの
でしょう。


そうした私の精一杯の対処の社会的な意味が分かったのは、
卒業式が終わってから、ちょうど今頃、3月の中旬です。


大学受験に失敗した私は、担任の先生のもとを訪ね、ある
お願いをしました。

そのお願いとは、簡単に言えば、

「予備校の受講料が割引になる推薦状を書いてほしい。」

というものです。


先生は、数日間検討した後、

「推薦状は書けない。」

との返事をくれました。

その理由は、

「君は遅刻が多すぎるから。」

という、たいへん理にかなったものでした。


私の不安に対する精一杯の対処は、3年間で約200回の
遅刻として記録されていました。


「たった2、3分でも、アウトはアウトであり、裏にどんな
事情があろうと、社会的には遅刻として意味付けられ、
記録される。」


私が高校3年間で学んだことで最もためになることでした。


もっとも、「学んだ」ことは「教訓として生かした」こととは
別であり、その後も私はことごとく手痛い失敗を重ねます。


その結果、成績表や履歴書という類の、私の存在を証明する
書類はひどいことになってしまいました。

あ、唯一、戸籍に限っては未婚なのでピカピカにきれいです。


私の中では失敗じゃないんですよ。
ただ、やっぱりそれは私の中での話であって、世間的には失敗
なのでしょうし、また、記録上も失敗でしょう。


余談ですが、

「全てのことに意味がある。」

などという言葉を耳にすることがあります。


スピリチュアルなカウンセラーが私の履歴書を見て、

「全てのことに意味があるのです。」

などと言ったとしたら、ケンカを売られているとしか思えません。


さて、話を戻します。


推薦状を断られて、3年間、毎朝駆け上がってきた高校までの
坂道をとぼとぼと下りながら私は思いました。


「仕方なかった。2、3分の遅刻をするほかなかった。」


でも、私は知っていました。


同じクラスのMさんは、私と同じように友達がいませんでした。
隣町から電車で50分かけて登校しているため、始業の30分前
には学校に着いてしまうのですが、彼女は誰とも話さず、静かに
一人で本を読んでいるのでした。


また、隣のクラスのG君もまた、私と同様、友達がいませんでした。
彼は、毎朝登校するなり机に突っ伏し、一日誰とも話をせず、
休み時間は(授業中も?)ずっと寝ているのでした。


「遅刻をするほかなかった。」というのは、客観的には明らかに
嘘だったのです。そんなことは分かっていました。


それではなぜ、私はMさんやG君のように振る舞うことが
できなかったのか・・・

何度問うても分かりませんでした。


思うに、当時の私にとっては、たしかに

「遅刻をするほかなかった。」

のでしょう。



今の私は、いい意味で鈍感になったのか、話し相手がいなくても
全然平気になりました。


それでもなお、朝には自宅から職場まで走り、始業前ギリギリに
着くのはなぜなのか、

青年期に身に付けた悪い習慣はなかなか抜けないもだからなのか、

それとも、今の職場に対して何らかの不安があるからなのか、

肝心なことはやっぱり分からないのでした。


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