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「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由を読んで

私がブログを書くことはもうないかもしれないと思っていたのですが、たまたまネットで読んだ記事の中に、どうしても「いま」感想を書き留めておきたいものがありましたので、1年ぶりにブログを書くことにしました。


「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由


大反響「底辺校出身の東大生」は、なぜ語られざる格差を告発したのか




インターネットが発達した現在においても、田舎と都会の間には教育と文化に関する情報や機会の差があり、しかもそのことが田舎に住む人にも都会に住む人にとっても、無視すべきでない問題として十分に認識されていないということを、著者である阿部幸大氏の体験を交えて書いた記事であると私は理解しています。



阿部氏の記事には、私があえて考えないようにしてきた内容が含まれているのですが、ゴールデンウィークの暇な時に読んでしまったものですから、考えずにはいられなくなってしまいました。


私は、阿部氏とほぼ同年代で、阿部氏と同様に北海道の田舎で生まれ、大学時代は札幌市で生活し、地元の田舎に戻ってきてそろそろ10年になります。


私は、暗く大人しい子どもだったので、阿部氏の記事で底辺の例として紹介されているようなヤンチャな友人はいませんでしたが、地元に戻り生活保護の現場で仕事をした際に、子どもの教育に対する意識が高くない家庭の事例もいくつか目にしました。もっとも、意識が高くない理由が、田舎だからなのか、経済的に貧しいからなのか、それ以外なのかは分かりません。


私は、著者の阿部氏の指摘は、本当にそのとおりだなと実感として思います。
今後、社会学者による実証的な研究を期待しています。



さて、阿部氏の記事を読んで、結果的に、私は自分に対する不安感や嫌悪感が増してしまいました。


まず、自分に対する不安感についてです。

私は、遠距離恋愛でお付き合いをしている方がいて、私の地元での結婚も考えているのですが、正直に言って、ほんとうに「ここ」で健康で文化的な生活を送ることができるのだろうか、ほんとうに「ここ」で格差社会を器用に生き抜くことのできる子どもを育てられるのだろうか、そうした不安を改めて強く感じました。



ちなみに、私は田舎に住んでいますが、仮に自分に子どもがいたとして、私が子どもに受けさせたい理想の教育のレベルはかなり高いです。

大学に行く、行かないの話ではなく、「子どもが大人になったとき自由に生きることができるレベル」の教育を受けさせたいと思っています。


ここでいう自由とは、居住の自由、職業選択の自由や国籍離脱の自由をもちろん含みます。

これらの自由は、日本国憲法で保障されている基本的人権ですが、現実の私は、居住の自由も職業選択の自由も国籍離脱の自由も、思うままに行使することができません。


なぜできないのかは、大変難しい問題ですが、ぜひこれを乗り越えることができる大人を育てたいと考えています。




次に、自分に対する嫌悪感についてです。


私は、中高生の頃は、阿部氏と同様、どうしても地元から脱出したいと思っていたのですが、そんな私が今は地元の役所で働いているというのは、本当に皮肉なことだと思います。


で、地元に帰ってきて働いてみて、「地元には、子どもの頃は気付かなかった魅力がある」と分かるようになったかといえば、全くそんなことはなく、むしろ地元に住んでいることが原因で日増しに元気がなくなっているような気さえしています。



むかし、アンジェラ・アキの「手紙~拝啓 十五の君へ~」という歌がありました。





この歌はいい歌なのですが、仮に私が15歳の自分に宛てて手紙を書くとすれば、謝罪の言葉を並べるしかありません。


「十五の私は、あれほど悩み、泣き、考えたはずなのに、この程度の大人にしかなれませんでした。ごめんなさい。」


「十五の私は、地元の田舎が嫌で、地元から出たいがために学校の勉強に励んでいたはずなのに、結局地元に住むことになってしまいました。しかも、地元の人に納めていただいた税金から給料をもらって生活してます。ごめんなさい。」



もっとも、15年以上も前のことをウジウジ考えるなんて馬鹿らしいですし、子どものころ「ああいう大人にだけはなりたくない」と思っていたその「ああいう大人」になってしまった人など、私のほかにも沢山いるでしょう。それは私も分かっているのです。


でも、何かあるたびに、「子どもの頃に抱いた「将来は地元を出たい」という切実で、しかしささやかな願い事すら実現できなかった自分」、「その子どもの頃の願い事がいまだに忘れられない自分」、「かといって今から都会への転出を目指すことが、年齢やスキルを考えると全く不合理な選択となってしまう自分」に負い目を感じてしまうのです。そして、そんな自分が嫌いです。



正直に言って、例えは悪いかもしれませんが、私の人生を野球の試合に例えると、2回の攻撃を終えた時点で、自分のチームが0対20の大差で負けているような気分です。対戦相手が誰なのかは自分でもよく分かりませんが、もう負け試合なのです。


一応、私は、とても諦めの悪い性格なので、自分の攻撃の回でわざと空振りして潔く0点でコールド負けするよりは、1点でも多く取って負けた方がいいし、できればコールド負けも避けたいと思っています。



ただ、こんなメンタリティの私が、ここ地元で、結婚という形で他者を巻き込んで生活できるのか。

負け試合を自分なりにプレーするのはいいが、これ以上人を巻き込むべきではないのではないか。助っ人(?)を呼ぶなどもってのほか。

巻き込む「べき」かどうかの問題ではない、巻き込み「たい」かどうかの問題だ。本心ではどう思っているのか。






さて、話が逸れてきたのでそろそろ終わりにします。

私の話はともかくとして、岡田氏の記事をきっかけに「教育と文化の地域格差」の議論が盛り上がることを期待しています。


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パラリンピックを見て


私は、社会生活を送る上で支障となるような気質をもって
います。そして、私がそういう気質をもっていることは、
誰の目にも明らかです。


「君は将来苦労するよ」とか、

「そんなんではどこへ行ってもうまくやっていけない」


と少年時代から言われ続け、大人になったいま、予言の
とおり毎日うまくいかず、ヘロヘロの状態で生活しています。


でも、私は「障害者」ではありません。


こんなに毎日うまくいかないのだから、私をくまなく
調べれば、何かの病気や障害に当てはまるのではないか、
そう考えた時期もありました。


「障害者」と認められれば、周囲も温かい目で見てくれる
かもしれない、私の能力不足を大目に見てくれるかも
しれない、そういう期待があったのですが、どうやら
そんなに甘くはないことがだんだん分かってきたため、
自分の中の障害を探すことへの興味が薄れて現在に
至ります。(精神科には通院していますけれども。)



ですから、パラリンピックを見ていると、
「よく競技を続けられるな」と感心します。


周囲の理解や協力だって必ず得られるわけではないと思い
ますし、また、時間やお金の制約があり、進行性の病気を
抱えている方は治療とも両立しなければならないはずです。


それでもやり通してしまう選手たちを見ていると、
とても輝かしい存在だと感じます。



さて、オリンピックとパラリンピックを見ていて改めて
思ったことが2つあります。


ひとつは、私たちが「努力」と言っているものは、
特別に美化されるべきものではなくて、結局のところ
「個人の幸福追求の仕方のひとつ」なのではないか
ということです。


そう考えると、私の幸福追求の仕方が、世間から「努力」
であると褒められなかったとしても、気にするほどのもの
でもないのかなと少し安心しました。


もうひとつは、困ったときは道具の力を借りるべきだと
いうことです。


失敗が続くと、劣等感の強いの中には、自分の能力のなさ
を責める人もいるでしょう。

「なぜできないのか」と能力の不足に焦点を当てるの
ではなく、どうすれば能力の不足を補うことができるか
考えたほうが利口です。


暗算が苦手であることを悩むことより、
「そうだ、算数のテストじゃないのだから、電卓を使って
もいいのだった」と思いつくことの方がずっと生産的である
ことは、多くの人が納得するはずです。


「どこかに自分にぴったりの道具があるのではないか、
または道具を作ることができるのではないか」


そういうふうに考えればいいのかなと、気持ちが少し
軽くなりました。


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価値観になじめない人はどう生きたのか

第2次世界大戦の終戦から71年を迎えようと
していますが、ひとつ気になっていることがあり、
ちょっと調べてみようと思っています。


それは、

「戦場に行きたくても行けなかった人たち」は
当時どんなことを考え、戦争の前後を通じて価値観が
変わったのか、それとも変わらなかったのかという
ことです。


「戦場に行って祖国のために戦うことこそ尊い」

と本心から思っていたにもかかわらず、
身体障害や持病のため徴兵検査に落ちた人たちは、
当時の世間の価値観や、自分自身の価値観にも
従うことができなかったことでしょう。


そのような人たちは、
「戦場で祖国のために戦う」という自分の理想を、
どの時点で修正したのか、または修正しなかったの
でしょうか。


また、徴兵検査に落ちた時点で、何らかの劣等感や
負い目を抱えることになったと予想しますが、
このようなマイナスの感情は、戦後において世間の
価値観が変わったことにより、自然と消えていった
のか、それとも残ったままだったのでしょうか。


彼らの語りが記録に残っていれば、それは、自分の
信じてきた価値に従うことができず、しかも戦後に
おいて世の中の価値観も大きく変わっていく中での
マイノリティの語りの記録として、現代社会で生き
づらさを抱える私たちに何らかの示唆を与えてくれる
ものと思います。


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学生団体のデモ参加もほどほどに

平和安全法制関連2法が成立して1か月が経ちましたが、
まだ一部の学生は反対デモ(批判デモ)を行っているよ
うです。


さらに、民主党とSEALDsが来夏の参議院選に向け
て連携することになったと知り、私は驚いています。


10月になれば、大学の夏休みも終わっているはずです。



私は、法案成立前の反対デモに学生が参加することに
対しては、

「夏休みだし、大学生が法令に違反しないよう気を付け
ながら参加するならいいんじゃないの?」

と思っていましたが、9月30日に法律が公布された後
になっても反対デモ(批判デモ)が行われることには、
疑問を感じます。


(参考)
平和安全法制整備法のあらまし(官報)
国際平和支援法のあらまし(官報)

(ちなみに、官報の「あらまし」は法律の概要が分かり
やすく書かれており、「結局あの法案は何だったの?」
という状態の私にとってはすごく役に立ちました。
適当なファイルの保存場所が見つからず、とりあえず
ヤフーボックスに保存しています。)


もっとも、私が疑問を感じているのは、学生に対して
ではなく民主党に対してです。



今回改正された法律を再度改正して、平成27年9月
29日までの状態に戻すことができるとしても、それは
国会議員の仕事であり、一有権者である学生が直接できる
ことなどありません。


ですから、

「気持ちは受け止めるが、ここからは我々の仕事だから、
学生は大学に戻ってね。」

と言ってあげるのが誠実な大人の対応でしょう。


連携などと称して学生を巻き込み続けたのでは、学生たち
が気の毒です。



民主党の幹部の中には、弁護士がいたはずです。

彼らだって、若い頃、思う存分、好きなだけ勉強をしたから
弁護士になれたのだと思います。


自分は好きなように学生時代を過ごしておきながら、
なぜ、学生たちに対して、

「君たちが直接できることはない。夏休みも終わったから、
後は我々に任せて、大学で自分のしたいことに打ち込みなさい。」

と言えないのか。


私は、国政選挙では、小選挙区か比例区の少なくとも
どちらか一方で民主党に投票してきたのですが、次もそう
したいとは思えなくなってしまいました。


学生の皆さん、学生時代は本当にあっという間です。
大人や、周囲を巻き込みたがる友人に振り回されるのは
ほどほどにして、自分のしたいことをしてください。

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死んだ男の残したものは

この記事は、本当は8月15日に投稿しようと思って
いたのですが、忘れていたので投稿します。


「死んだ男の残したものは」は、来年2月に没後20
年を迎える偉大な現代音楽の作曲家、武満徹(たけみつ
とおる)が作った反戦歌です。(作詩は谷川俊太郎)


今回は、youtubeから演奏を3つ紹介します。


石川セリ


石川セリが「死んだ男の残したものは」を含む
曲集「SONGS」を歌うことを、武満自身が
望んでいたと言われています。この曲は、重く、
深刻な雰囲気で歌われることも多いですが、石川セリ
は、気だるい感じで歌っており、これはこれで
私は好きです。



ステファン・ランビエール(フィギュアスケーター)による演舞つき


ランビエールのスケート、特にスピンが見事です。
映像中ラストのスピン、、軸がぶれることなく高速回転を
続ける様子は、まるで人間の歴史が滅びても変わらず
自転し続ける地球を表現しているかのよう・・・に
感じるのは、たぶん私の考えすぎです。
なお、映像と音楽は合成だと思います。
(弾き語りは長谷川きよし)



アカペラ合唱バージョン


石川セリの歌唱とは対照的な、重々しい雰囲気の
演奏の代表格と言っていいでしょう。ソロの歌手
がどんなに懸命に歌っても、この迫力は出せないと
思います。合唱への編曲は、武満自身が行っています。
youtubeのページでは詩の全文を掲載しているようです。

平和を享受し、暖炉のそばでのんびり音楽を聴いて
いられる生活、私もそういう生活を送りたいです。

その実現のためにできることを私個人としても考え
る必要があると思いました。

(2015.9.19 平和安全法制整備法および国際平和支援法成立を受けて)


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プロフィール

人間嫌い3級

Author:人間嫌い3級
日本の片隅でひっそりと暮らす人間嫌いです。
アラサー。

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