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雨の高校野球県大会決勝戦

自分が昔書いていたブログの記事を転載して、
最後に今の自分がコメントを付けるシリーズ



人間嫌いという才能(2009年)から


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雨の高校野球県大会決勝戦


悪趣味かつベタなので、あまり人には言えないが、私は昔から
『雨が降る中での高校野球県大会決勝戦、試合終了の瞬間』を
見たいと思っていた。


今年はそのチャンスが訪れる気がした。


テレビをつけたら夏の高校野球県大会決勝戦が放送されていて、
1回ウラ、小雨が降っていた。

私は急いで自転車を漕ぎ、市民球場へ向かった。


着いたときには、4回表。まだ霧雨が降っている。
一塁寄りのバックネット裏の最上段から試合を見ることにした。


カメラマンが、レンズに付いた雨滴を手際よく拭き取る様子に
感心したり、

「ああ、1塁にランナーがいるときはこのアングルから撮って
 いたのか」

などと試合と関係のないことを考えているうちに、気が付けば
9回ウラとなっていた。

雨は上がっていた。


ショートゴロで試合が終了すると、歓声が響いた。
マウンド上では選手たちが抱き合い勝利を喜んでいる。


多くの観客はその場面を見届けると球場を後にしたが、
私は、閉会式が終わっても決勝戦の空気が残る球場に佇んでいた。


さっきまで涙を流していた敗者たちも、ある者は淡々とした表情で
新聞記者のインタビューに答え、またある者はベンチ内を片付けて
いる。

テレビ局の撮影スタッフがカメラ類をアルミケースにせっせと
仕舞い、私の前を通り過ぎていく。


のんびり感傷にひたっているのは私だけか。


「わかった。私は『ものの終わり』がわからないのだ。」


西日が差してきた。


いっそ、最後の一人になるまで残ってやろうと思ったが、
選手たちより長くこの場に残っていてはいけない気がしたので、
球場から去ることにした。


(以上)
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大学を卒業したものの仕事に就くことができず、ブラブラして
いた・・・いえ、引きこもっていた私が、郷里に帰る1ヶ月くらい
前に書いた記事かと思います。


私は高校野球を見るとどうしても感傷に浸ってしまうのです。


「大観衆が見つめる緊張感の中、世代最高レベルのメンバー同士で
 試合を重ねる」

「勝って顔をくしゃくしゃにして笑ったり、負けて泣いたりする」


まさに人生最高の経験をしているように見える彼らをうらやましく
思うとともに、


「これから先、彼らは『余生』をどういう気持ちで過ごすのだろう」

などと考えてしまう暗い私です。



あのときの昂ぶり―。
今後の人生で、それ以上のものを味わえる可能性があるのは、駒大
苫小牧のエースで楽天から一位指名を受けていた田中将大と、早実の
エースで早大進学を決めていた斎藤佑樹、2人だけのように思われた。

(中略)

必然、心を動かしにやってくる出来事は天秤にかけられることになる。
あの夏より重いか、軽いか―。そして当然のことながら、その秤を
動かすことのできる「重り」はそうやすやすとは見つからない。いや、
そうやって比べている限り、生涯、手に入らないかもしれない。

(中村計「あの夏を越える夏を探して~早実ナイン、一年後の葛藤~」
[矢崎良一「白球と宿命」第3章 96頁])


このときの私は、
これから先の人生において大きな出来事など何も期待していないこと
から生じた学生時代の余韻を味わいながら、毎日を過ごしていたの
でしょう。


「単に学生気分が抜けていなかっただけ」とは明らかに違う、
不健康な思考をしていたことを今も覚えています。


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共感はビジネススキルか

自分が昔書いていたブログの記事を転載して、
最後に今の自分がコメントを付けるシリーズ



人間嫌いという才能(2009年)から


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「心の専門家は別として、素人が共感、共感と騒ぐのは無理しすぎだ」

「素人も共感を持って弱者を助けるべき、という風潮が広まれば、
 弱者は心を閉ざしかねないし、助ける側もやりにくい」

前回書いたが、


書いた直後から何か違和感があった。



違和感の正体を考えてみる。



「わざわざ私が言わなくても、誰でもわかっている事だ」

ということはすぐに思いついた。



でも、違和感は完全に消えない。


もう少し考えてみる。



なるほど、見えてきた。


「最近話題にされる共感(心の専門家でない素人間の)とは、

 ビジネススキルとしての共感であり、今日、

 素人間の共感をメンタルヘルスの問題として捉えるのは少数派、

 というか的外れなのではないか。」


という違和感だ。



この違和感が正しい感覚だとしたら、私はかなり恥ずかしい。

問題を勝手に勘違いして、警句を発していたことになるのだから。





ここまで読んでくださったあなたにお願いがあります。


「最近話題にされる共感(心の専門家でない素人間の)とは、

 ビジネススキルとしての共感であり、今日、

 素人間の共感をメンタルヘルスの問題として捉えた筆者は

 少数派、というか的外れである。」


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私はマトモな文章をサッと書く能力を身につけたいのです。
あなたがクリックすることにより、私にどこかから報酬が入ると
いうことはありませんし、架空請求が届くこともありませんので、
どうぞご協力よろしくお願いいたします。



(以上)
-----


ウクライナやイスラエルに関する報道を見ると、

私たち一人ひとりが、『国際協調』や『世界平和』について
考えなければならないとうわべでは思いつつも、

結局、

『国際協調よりも、自分の半径3メートル内の人間との協調』

『世界平和よりも、自分の心の平静』

ばかり考えてしまう人間嫌いの私です。


はっきり言って、この記事は出来がよくありません。

「素人間の共感をメンタルヘルスの問題として捉えた」
というあたりがよくわからないですね。


自分に共感してくれる人が身近にいれば心の問題をこじらせる
ことはない、とかそういうことが言いたかったんでしょうか・・・


さらに、共感は難しいと言いつつも、最後に

「この記事に賛成(共感)したかどうか」
尋ねているあたりもなんだか変です。


何よりも一番ショックなのは、
「マトモな文章をサッと書く能力を身につけたい」
という目標が5年経ってもまったく達成されていないという
ことでした。



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社会適応、その先へ

前回の記事

前回の記事で、

「いま、私は私の住む地域と職場において最低限度の適応が
 実現できている。」

と書きました。


このことは、私の周囲の“寛大な人達”のおかげであり、この場を
借りてお礼申し上げます。


しかし、適応といっても本当に最低限度であり、身のまわりの
実に器用な人々を見るたびに、

「最低限度の適応はやっぱりしんどい」

と思うのです。


私は、心療内科に通っていたとき、医師に相談したことがあります。


「先生、薬のおかげで夜眠れるようになってきて、何とか昼間に
 学校へ行くこともできるようになりました。
 でも、精神科の薬に頼って生活しているというのは、ちょっと
 負い目があります。薬に生かされているというか、胸を張ること
 ができません。」


医師は、

「負い目を感じる必要はありません。インスリン注射や、
 心臓病の薬を飲みながら生活している人はたくさんいるわけ
 でしょう。それらと一緒で、あなたにとっての向精神薬は、
 社会に適応するために必要なものであり、それを飲むことを
 恥ずかしく思う必要はないのではないでしょうか。」

と答えました。

私は、なるほどと思って診察室を出ました。

「社会に適応するために必要」か。そのとおりだ。


診察室を出て、隣の集団療法室に目を向けると、そこでは
復職へ向けて治療を進めている休職中の中高年のビジネス
パーソンが作業に打ち込んでいました。

実際の職場に近い環境を再現するため、一定の時間パソコンで
文章を作ったり、会議のような雰囲気の中で他の患者と議論を
するプログラムが行われていました。

彼らもまた、再び社会へ適応するために努力しているのでした。






あれから7年くらいが経ったでしょうか。

今となって思い返してみると、果たしてあのとき医師の言った
ことを、すべて真に受けてよかったのかと疑問に思うこともある
わけです。


社会に「適応」すること、たしかに大事なことです。

医者の役割としては、病気のため不適応状態になっている患者を
投薬治療等で元の状態に戻すことで十分だと思います。

しかし、私達が漠然と社会だとか周囲の環境と呼んでいるもの
は、絶えず変化しているのです。

ずっと、ずっと受身の姿勢で適応訓練を繰り返す毎日では
疲れてしまうでしょう。

しかるべき段階で、自分が生活しやすいように社会や周囲の
環境を変えるような働きかけを自ら行うことが必要となるはず
です。

単に適応するのでなく、周囲の環境に対しても能動的に働き
かけを行っていく、そういったことが“生きにくさ”を抱える
人々に求められているのではないかと考えます。


そう考えたときに、セクシャルマイノリティの現状は少し
もったいないと感じるのです。


ソチオリンピックが開幕する直前、ロシアで、未成年者へ
同性愛を宣伝することを禁ずる法律が制定され、そのことに
対し、欧米各国の首脳が抗議の意を表明したのは記憶に
新しいことです。


2018年の平昌オリンピックや、2020年の東京オリン
ピックを控えて、各自治体が合宿誘致のため動き出している
ことを考慮すれば、

どさくさにまぎれて、東京都を含め日本各地で、都道府県、
または市区町村レベルで、


「性的少数者に対する差別を禁止する条例」

を成立させるのはそれほど難しくないように思います。


そもそも、地方自治法第74条第1項の規定により、
有権者の50分の1以上の署名があれば、自治体の長に対し、
条例を制定するよう請求することができます。

(高校の政治経済や現代社会の教科書にも書いてある
 ことです。)


セクシャルマイノリティの当事者や、セクシャルマイ
ノリティに寛容な人々の数を合計すると、有権者の
50分の1の署名は割と簡単に集まりそうな気がしますが、
2014年7月現在、そういう活動を私は知りません。


全国各地で条例制定の直接請求が行われたとすれば、国政も
その流れを無視することはできないでしょう。


もっとも、直接請求を行うことに懐疑的な見解もありえる
と思います。

「日本のセクシャルマイノリティは、制度によって差別され
 ているのではなく、世間によって差別されているのである。
 したがって、たとえ条例や法律を作ったからといって少数者の
 苦しみはなくならない。」

といった見解や、

「直接請求を受けて必ず条例が制定されるとは限らないし、
 制定されたとしても都城市のように後で見直されること
 もあり得る。」

が考えられます。


私自身が上記のような疑問を持っていますし、おそらく
直接請求が行われたとして、少なくない自治体は、都城市が
男女共同参画社会づくり条例から
「性別または性的指向にかかわらず」という文言を削除したのと
同じような理由付け、すなわち、

「『すべての人』の中に性的少数者も含まれており、
 性的少数者を排除しようとするわけではない。」

だとか、

「憲法で法の下の平等は保障されており、改めて条例で定める
 必要はない」

だとかの理由によって、条例によって明文化するのを拒むで
しょう。


それでも、自治体のトップから

「性的少数者を排除しているわけではない」

「法の下の平等は憲法に規定されている当然の権利である。
 本市においても、法令の解釈や政策の立案に当たっては、
 憲法の趣旨を踏まえ、性的少数者が不当に不利益を被る
 ことのないよう配慮したい。」

などの言質を引き出すだけでも十分に意義のあることだと
私は思います。


さて、しばらく性的指向の話題が続いたのでそろそろ終わりに
しますが、次のことだけは再度言いたいです。


『“生きにくさ”を抱える当事者は、社会へ「適応」するだけで
なく、その先を考えなければ、結局同じことの繰り返しになって
しまう。』

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診断することに意味があるとすれば


前回の記事

アセクシャルを自認しない人も大勢いるであろう中で、なぜ、自分は
あえて自分のことを「アセクシャル」と名乗るのか、このことに
ついて考えてみます。


私は、10代後半からいわゆる“生きにくさ”を感じていて、
それを解消したいと願っていました。


そこで、何らかの「診断」をすれば、それに応じた治療なり対策なり
が見つかると考えたため、いろいろと調べたり、医者に相談したり
してきたわけです。決して自分探しだけが目的ではありませんでした。


うつ、アパシー、同性愛、社会不安障害(SAD)、
アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)、アセクシャル、


いくつか候補となる「診断名」を自分なりに見出してきました。


しかし、それらの「診断」が自分の“生きにくさ”の解消に
役立ったかと言うと、アスペルガー症候群の診断を除き、
たいして役に立っていません。


そもそも、病気や障害でもないものに名前を付けて「診断」する
ことは、単なる「一定の心身の状態についての粗い記述」に過ぎず、
それを行ったからといって、問題が解決するわけではないので、
当然の結果と言えばそのとおりです。


唯一、発達障害の一種であるアスペルガー症候群について理解する
ことのみ、私が世間に適応するための方策を考えるために、少しは
役に立ちました。


それでは、なぜいま改めて自分をアセクシャルと「診断」することが
必要なのか、私なりに考えてみたのです。


いま、私は私の住む地域と職場において最低限度の適応が実現できて
います。


しかし、それは本当に最低限度の適応であり、もう少し高いレベル
での適応を望んでいます。


一方で、単に自分の住んでいる地域と職場における適応を目指す
だけでは、消極的で息が詰まる生活を強いられているような気がして、
これでは近いうちに身が持たなくなる予感がしているのも認めざるを
得ません。


そこで、同志というか、似たような“生きにくさ”を感じている人々
から情報を得たい、また、知り合いたいと思い、その同志を見つける
目印とするため、アセクシャルと名乗っているわけです。

(つづく)

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なぜアセクシャルを自称するのか

前回の記事

前回の記事を書いていてもう一つ思ったことは、アセクシャルを名乗る
自分自身への不可思議さです。


前回紹介した調査で「自分が恋愛感情を抱くことが出来るのか不安だ」、
「性交渉をすることに関心がない、嫌悪している」と答えた人の全員が、

「自分はアセクシャルである」と自認しているとは思えません。


もっとも、アセクシャルという言葉を知らない人も多いでしょう。

しかしながら、彼ら彼女らが調査回答後にアセクシャルという言葉の
意味を知ったとして、全員が「自分はアセクシャルである」と自認する
ようになるとは到底思えないわけです。


「たしかに、アセクシャルの人々と自分は考えが似ているが、自分を
 セクシャルマイノリティとして考えるのは違和感がある。」

「自分は別に少数者として社会から抑圧されているわけではない」

「そもそも、女性の46.3%が性交渉に無関心・嫌悪であるの
 だから少数派でもなんでもない」

そういう風に考える人も多いんじゃないかと予想します。


アセクシャルを自認しない人も大勢いるであろう中で、なぜ、自分は
あえて「アセクシャル」と名乗るのか、ふと疑問に思ったわけです。


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アセクシャルに近い状態にある人は案外いる

「恋愛感情を持つことができない」

「性的なことに関心がない、または嫌悪している」


これらは、アセクシャルを自認する方々の多くが訴えることです。


今回は、アセクシャルがどの程度の少数派であるかについて、統計資料を
もとに考えてみたいと思います。


1.まず、恋愛感情に関して、


内閣府政策統括官「結婚・家族形成に関する調査報告書」(平成23年3月)

によれば、現在恋人がいない(交際経験のない者も含む)20代・30代の
男女(5,167人)のうち、31.6パーセントが「今、恋人が欲しいと思わ
ない」と答えており、

さらに、「今、恋人が欲しいと思わない」と答えた者(1,632人)のうち、
その理由として「異性に興味がない」、「異性と交際するのがこわい」と
答えた者を合わせると、31.7%とのことです。


さらに、上記の現在恋人がいない(交際経験なし含む)のうち、
「自分が恋愛感情を抱くことが出来るのか不安だ」と答えた者は、
29.8パーセント(約1,540人、男性23.2%、女性40.3%)
でした。


この調査は、既婚者を含む20代~30代10,000人を対象に行われた
調査ですのでアセクシャル的な考えを持つ者のおおよその割合を推測する
ことができるでしょう。

「自分が恋愛感情を抱くことが出来るのか不安だ」と答えた人数が1,540人
ですから、だいたい15.4パーセントと考えることができそうです。


人によって見方は変わるでしょうけれど、15.4%というのは、心配
するほど少数派ではないように私は思います。

(もっとも、このアンケート調査票には回答者が同性愛者かどうか明確に
尋ねる項目はないため、この数字の中は同性愛者も含まれている可能性
があるでしょう。)


2.次に、性的なことへの関心について、


(社)日本家族計画協会「第6回男女の生活と意識に関する調査(概要版)」
(2013年)によれば、


質問紙を送付した16歳~49歳の男女3,000人(有効回答数1,306)
のうち、

性交渉をすることに「関心がない」と「嫌悪している」と答えた者の割合
を加えると、
男性で17.7パーセント、女性で46.3パーセントとのことです。


こちらも、たいして小数派ではないように私は思います。

(単数回答なのか、複数回答なのかは概要版の資料からは読み取れません
でした。また、本当は関心があるのに恥ずかしいため、または自分で認めたく
ないため「関心がない」と答えた人が含まれている可能性があるでしょう。)


さらに、婚姻関係にあるカップルのうち41.3%がセックスレスの状態に
あるとのことです。

(セックスレスの定義は、日本性科学会(1994年)の「特殊な事情が
認められないにもかかわらずカップルの合意した性交あるいはセクシュ
アル・コンタクト(ペッティング、オーラルセックス、裸での同衾など)が
1ヶ月以上なく、その後も長期にわたることが予想される場合」による)


以上、2つの調査結果から私が感じたことはいくつかありますが、


一つは、恋愛感情や性交渉について、アセクシャルの方々と同様の
考えを持っている人は一定数おり、

よって「アセクシャルの悩みをわかってくれる人はいない」
というのはおそらく思い込みだろうということです。


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Author:人間嫌い3級
日本の片隅でひっそりと暮らす人間嫌いです。
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