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多様な価値観?

自分が昔書いていたブログの記事を転載して、
最後に今の自分がコメントを付けるシリーズ



人間嫌いという才能(2009年)から


----


「多様な価値観を認める」ってどういうことを言うのでしょうか。


たとえば、

「多様な価値観を認めよう。」

というスローガンがありますが、


まさか

「何でもアリ。」

という意味ではないでしょう。





それでは、どういう意味でしょうか。


あくまで私の考えですが、大雑把に言うと、


「多様な価値観を認める。」

というのは、


「特定分野の第一人者を、高く評価する。」


という意味であり、逆に言うと、


「中途半端な人は、高く評価しない。」


という意味だと、私は理解しているのです。


(公の秩序を乱すような価値観が評価されないのは当たり前の前提とします。)



詳しく説明しましょう。



私は、価値観とは的当てゲームの"的"のようなものだと

考えています。



【価値観】を的当てゲームの【的】に例えると、


「多様な価値観を認めよう。」


というセリフは、つまり、


「世の中には沢山の的がある。的は1つじゃない。

 それがどんな種類の的であれ、『的の中心にいる人』を

 高く評価することにしよう。」


という意味だと私は捉えています。



・・・わかりにくいですね。


具体的に言うと、


「世の中には、容姿の的、学歴の的、野球選手の的、ゲイの的、など

 いろいろな的(価値観、何らかの評価対象となる個性)がある。


 的は1つではない、したがって、容姿が人間の評価の全てとか、

 学歴が全てとか、そういう風に考えるのは間違いである。


 どんな種類の的であれ、『的の中心にいる人』については

 高く評価すべきだ。


 『的の中心にいる人』というのは、たとえば、モデル並みの美人とか、

 東大卒とか、プロ野球選手とか、ゲイの中のゲイとか、
 
 そういう人たちのことである。


 逆に言うと、的の中心から外れた中途半端な人は評価しない。」



・・・もっとわかりにくくなってしまいました。




つまり、私の主張は、


「多様な価値観を認める。」


というのは、一見すると他者に寛容な態度ですが、

実は、


「特定分野の第一人者のみを受け入れ、

 中途半端な人は排除する。」


という排他的な態度なのではないか、


ということです。




ここまで書いてみて、


「私はなんて被害妄想なんだろう。」


と思いました。



なぜ自分はこんなことを考えたのか、考えてみたところ、


「中途半端な私はいつか排除される。」


という被害妄想が考えの出発点にあるようなのです。



私はゲイの中のゲイにはなれない。

また、ギャンブラーの中のギャンブラーでもない。

また、人間嫌い中の人間嫌いでもないと思う。



ようするに、私は中途半端であり、良く言えば

フツーの平凡な人間なのだけれども、

しかしながら、多数派とは何か決定的に違う、

そんな気がするのです。


今の自分は、いわば、


『特定不能な何らかのマイノリティ』


である、そういう大変不安な心持がするのです。



ところで、


『特定不能な何らかのマイノリティ』


いざ言葉にしてみると、これは


「自分は未熟者です。」


と言っているだけの気がしてきました。


「自分は○○として生きる。」


そういう覚悟が足りないだけの気がしてきました。



もっとも、そういう覚悟を持てない点において

マイノリティなのかもしれませんけれども。


なんだか、この文章を書き続けること自体が無駄に

思えてきたのでこの辺で打ち切ります。


まあ、


「多様な価値観を認める」の意味が、「何でもアリ」でないとすると、

それは実は排他的な考えである、


つまり、多様な価値観を認める人が増えれば増えるほど、

中途半端な人(特定不能な何らかのマイノリティ)は、

ますます排除される、という説については、個人的にもう少し考えて

みたいです。



(以上)

-----



きっと、特定不能な何らかのマイノリティである私の悩みは

多くの『自分は平凡なんだけれども標準ではない感じ』

に悩まされ、生きづらさを感じている人に共通するような気がします。



当時の私は、社会から排除されることへの恐怖と、私を助けてくれる公的な
社会資源を見つけることができないもどかしさから、このような記事を
書いたのでしょう。



実のところ、この記事を書いてから4年経った今も、特定不能な何らかの
マイノリティである私の悩みは解決されていません。



仮に、日本で同性婚を認める制度ができたとしても私はその恩恵を受ける
ことはないでしょうし、発達障がい者の支援の枠組みがより一層整備
されたところで、何とか経済的には生活が成り立っている私は支援の
対象外になってしまうことでしょう。




それを考えると、

「中途半端な私は独りで生きづらさを抱えて生きてゆくしかないんだーorz」

とがっかりしますが、このことに関する解決策は今のところ見出せて
いません。




ところで、

福祉の分野で「自助」「互助」「共助」「公助」といった概念があります。



自助・・・自ら働いて自らの生活を支え、自らの健康は自ら維持すること

互助・・・近隣の助け合いやボランティア、寄付等のインフォーマルなサポート

共助・・・社会保険制度のような生活のリスクを相互に分散する
     制度化された相互扶助

公助・・・自助・互助・共助では対応できない困窮などの状況に対し受給要件を
     定めた上で必要な生活保障を行う公的扶助や社会福祉



私は、「共助」や「公助」によって自分の問題が解決するのを期待できないこと
に落胆していたのですが、

まずは「自助」や「互助」を基本にして生きづらさを解消することを
考えるべきなのかと最近では思います。


そのためには、

1.私自身がより多くのことを学び、自分の生きづらさを相対化すること
  によって、自分自身の心を支えること(自助)

2.生きづらさを共有できる同志を見つけること(互助)


が第一歩なのかと感じました。


そこで思いついたのが「互助」としての婚活だったのですが、
これではあまりに飛躍しすぎ、かつ、自分本位すぎな気もします。


いろいろな方との対話を通じて落とし所を見出すことが出来れば
いいのですけれどね。



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Re: ブログを読んで

コメントどうもありがとうございました!

お返事は下記の記事に書かせていただきました。
http://ningengirai2.blog.fc2.com/blog-entry-23.html

今後ともよろしくお願いいたします m(_ _)m
プロフィール

人間嫌い3級

Author:人間嫌い3級
日本の片隅でひっそりと暮らす人間嫌いです。
アラサー。

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