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高校の卒業式を思い出す

なんだか最近の私の記事は、私の備忘録みたいになって
おり、色々なことをゴチャゴチャ書きすぎていることに
気づいたので、今日は話題を絞って書きます。


高校の教師をしている知人から、

「『自分の卒業式に出席したくない』と言う生徒が一定数いて、
 そういう生徒に対し、出席するよう働きかけるのが大変だ。」

という話を聞いた時のことをふと思い出しました。


私自身は、高校の卒業式には出席しましたが、本当は出席
したくありませんでした。

卒業式の1週間前くらいから、自分のみじめな高校生活を
振り返って気が滅入っていて、卒業式当日も気分が悪かった
ですね。

そして、気分の悪さを周囲に隠すことなく、あえて不機嫌そうに
振舞っていたのを覚えています。

卒業式が終わったら、在学中にお世話になった人に形ばかりの
感謝の言葉をかけてそそくさと家に帰りました。



知人は、

「卒業式に出席するのは、自分への『けじめ』だと思う。」

と言いました。


私は、

「出席したくない!」と意思表示をして、先生と対話をする
中で自分の気持ちを整理できたら、それはそれで本人的には
「けじめ」が付いたと言えるのかもしれず、この場合、その後
の卒業式に出席するかしないかは、「けじめ」が付くこととは
無関係ではないか?

と問いかけました。


すると、知人は、
「気持ちの整理が付いたなら、卒業式へ出席することでそれを
 示してほしい。」

と答え、私はそれ以上の問いかけができませんでした。



私のようなコミュニケーション能力に乏しい人間は、しばしば
忘れがちなのですが、

「たいていの人は、リアクションを求めている」

んですね。


先生としては、卒業式に出席するよう働きかけたのだから、
生徒から何らかのリアクションがほしいと思うのは、ごく
当たり前のことなのかもしれません。

もっとも、そのリアクションは必ずしも卒業式への出席という
形でなくてもいいと私は思うんですけれども。


こうして考えると、私のように、周囲に何の意思表示もせず
一人で不機嫌な気持ちで卒業式を迎えるというのは、結局
何の「けじめ」も付かず、最悪である、という結論になりそう
ですが、

まぁ、10年以上も前の話です、追及しません。



私がこの知人の高校教師との会話で印象に残っているのは、

この先生が、

「お世話になった人への感謝」ではなく、「自分への『けじめ』」

という観点から卒業式への出席の必要性を語っていたことです。



十何年か前の3月1日、私は、

「仰げば尊し?、お世話になった人への感謝?」

「ムリムリ、そんな気分じゃないわー」

と思って一人で悶々としていましたが、当の学校の先生方は、
別にそんなことは期待していなかったのかもしれませんね。


「仰げば尊し」を歌うときも、

最後の歌詞は、

「今こそ別れめ、いざさらば」

じゃなくて、

「今こそ、分かれ目、いざさらば」

つまり、今が自分の人生の分岐点、ろくでもない学校生活とおさらば
する、そのくらいの気持ちで良かったんじゃないか、今になって
そう思います。

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Author:人間嫌い3級
日本の片隅でひっそりと暮らす人間嫌いです。
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