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パラリンピックを見て


私は、社会生活を送る上で支障となるような気質をもって
います。そして、私がそういう気質をもっていることは、
誰の目にも明らかです。


「君は将来苦労するよ」とか、

「そんなんではどこへ行ってもうまくやっていけない」


と少年時代から言われ続け、大人になったいま、予言の
とおり毎日うまくいかず、ヘロヘロの状態で生活しています。


でも、私は「障害者」ではありません。


こんなに毎日うまくいかないのだから、私をくまなく
調べれば、何かの病気や障害に当てはまるのではないか、
そう考えた時期もありました。


「障害者」と認められれば、周囲も温かい目で見てくれる
かもしれない、私の能力不足を大目に見てくれるかも
しれない、そういう期待があったのですが、どうやら
そんなに甘くはないことがだんだん分かってきたため、
自分の中の障害を探すことへの興味が薄れて現在に
至ります。(精神科には通院していますけれども。)



ですから、パラリンピックを見ていると、
「よく競技を続けられるな」と感心します。


周囲の理解や協力だって必ず得られるわけではないと思い
ますし、また、時間やお金の制約があり、進行性の病気を
抱えている方は治療とも両立しなければならないはずです。


それでもやり通してしまう選手たちを見ていると、
とても輝かしい存在だと感じます。



さて、オリンピックとパラリンピックを見ていて改めて
思ったことが2つあります。


ひとつは、私たちが「努力」と言っているものは、
特別に美化されるべきものではなくて、結局のところ
「個人の幸福追求の仕方のひとつ」なのではないか
ということです。


そう考えると、私の幸福追求の仕方が、世間から「努力」
であると褒められなかったとしても、気にするほどのもの
でもないのかなと少し安心しました。


もうひとつは、困ったときは道具の力を借りるべきだと
いうことです。


失敗が続くと、劣等感の強いの中には、自分の能力のなさ
を責める人もいるでしょう。

「なぜできないのか」と能力の不足に焦点を当てるの
ではなく、どうすれば能力の不足を補うことができるか
考えたほうが利口です。


暗算が苦手であることを悩むことより、
「そうだ、算数のテストじゃないのだから、電卓を使って
もいいのだった」と思いつくことの方がずっと生産的である
ことは、多くの人が納得するはずです。


「どこかに自分にぴったりの道具があるのではないか、
または道具を作ることができるのではないか」


そういうふうに考えればいいのかなと、気持ちが少し
軽くなりました。


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友情結婚のための最低限の法律知識2

前回の記事
(文章の流れが悪かったので、最高裁の判例を後で
付け加えました。)



最近気になったニュース記事を紹介します。

「ゲイだ」とばらされ苦悩の末の死 学生遺族が一橋大と同級生を提訴

一橋大・ゲイとばらされ亡くなった学生 遺族が語った「後悔」と「疑問」

一橋大ロースクール生「ゲイだ」とバラされ転落死 なぜ同級生は暴露したのか

(3つの記事は、いずれも同一事件について同じ
人が書いたものです。著者の渡辺一樹さんは、
今後もこの事件を追っていくものと思われます。)


この事件に関するコメントは、本題から外れてしまい
ますので差し控えますが、私があえてこの事件を紹介
したのは、

「心ない人というのはどこにでもいる」

「人は、他人に意地悪をしたくなってしまうことがある」

「(少なくとも本人にとっては)自分を守るためにする正当な
意地悪というものもあり得る」

ということが、友情結婚にも当てはまると思うからです。


他人の夫婦生活にあれこれ口を挟む人はそれほどいないと
思いますし、結婚生活に多少の標準的でない部分があった
としても、夫婦の双方に不満がないのであれば特に問題に
はならないと思うのですが、夫婦の関係が悪化した場合や
第三者との利害の調整が必要となった場合に、友情結婚の
標準的ではない部分が露呈し、トラブルになることが考え
られます。




具体的にありそうな事例を考えてみます。


1.相続をめぐる配偶者の親族との争い


同性愛者である女性Aと男性Bは、別居、別生計、夫婦間
の性交渉なし、お互いに同性パートナーありという条件で
友情結婚をし、入籍し、結婚生活を2年ほど続けてきたが、
Bが不慮の事故で突然亡くなってしまった。


Aは、当然に、Bの財産の2分の1を配偶者として相続
できると考えていたが、Bの父から、

「そのような条件について合意の上での結婚は、法律上の
婚姻とはいえず無効であり、Aには配偶者としての相続権
もない。」

と言われ、AとBの間の婚姻の無効を確認する訴えを裁判所
に提起された。



これについて、どのように考えることが可能でしょうか。



民法は、次のように規定しています。


第742条 婚姻は、次に掲げる場合に限り、無効とする。
 (1) 人違いその他の事由によって当事者間に婚姻をする意思がないとき。
 (2) 略


742条1号にいう「婚姻をする意思」とは何を意味する
のか、婚姻届を役所に提出する意思で十分なのか、
「病めるときも健やかなるときも・・・生涯、互いに愛と
忠実を尽くすことを誓う」意思が必要なのか、明らかでは
ありません。


「婚姻をする意思」がなければ、婚姻が無効とされて
しまうわけですから、ここで規定されている
「婚姻をする意思」が何を意味するのかがとても重要と
なります。



学者の中には、婚姻の届出ををする意思で足りると考える
(形式的意思説)方もいるようですが、最高裁は、婚姻を
する意思について、「社会通念に従い、客観的に夫婦と
みられる生活共同体の創設を真に欲する効果意思」が
必要である(実質的意思説)との立場です。

婚姻無効確認本訴並びに反訴請求[昭和44年10月31日]


ここで「社会通念上の夫婦生活って何?」と疑問に思う
方もいると思います。

実は、この点がはっきりしないので、最高裁の判決が出て
からも、学者さん達はいろいろ考えました。


そこで、社会通念というあいまいな概念を持ち出すの
ではなく、より法的な考え方に基づき、婚姻を、民法の
定める定型であると理解し、説明しようとする学者さんが
出てきました(法律的定型説)。


婚姻をすると、いろいろな法律上の効果が生じます。

婚姻によってその効果の全部を生じさせようとする意思が
「婚姻をする意思」であるという説明です。


しかし例えば、婚姻をすることによって、他人の遺言の
証人や立会人になれなくなる場合がある(民法974条)
というのも、民法が定める婚姻の効果の一つではあります
が、このことを知らずに婚姻をしたからといって、婚姻の
意思がなかったと判断するのはおかしいでしょう。


そうすると、婚姻による法律上の効果の全部でなくて
一部であっても効果を生じさせようとする意思があれば
「婚姻をする意思」であると言い出す学者さんが出てきて、
結局、「民法の定める定型」の内容も明確ではありません。



さて、女性Aと男性Bの話に戻ります。

結局、「別居、別生計、夫婦間の性交渉なし、お互いに
同性パートナーあり」という条件で結婚したAとBの間に
「婚姻をする意思」はあったといえるのでしょうか。


上に書いたとおり、「婚姻をする意思」の内容は必ずしも
明確ではありません。


しかし、民法は、
「夫婦は同居し、協力し扶助しなければならない」(752条)

と定め、また、裁判上の離婚原因として
「配偶者に不貞な行為があったとき」(770条1項1号)

と定めており、多くの学説は
「同居義務や貞操義務を全く負わない旨の合意をしての
婚姻は、民法上の婚姻とはいえない」という見解を支持
しています。


よって、AとBには婚姻をする意思があったとはいえず、
AとBの婚姻は無効であると判断されると考えます。



最後に、再び「婚姻をする意思」の話に戻ります。


最高裁判所のいう
「社会通念に従い、客観的に夫婦とみられる生活共同体の創設を真に欲する効果意思」
とは結局何なのでしょうか。


私が婚姻についていろいろ調べる中で気が付いたことが
あります。


それは、

「結婚生活の中身についての法律の規定は少ない」

ということです。


同居義務、協力義務、貞操義務くらいしか条文からは
読み取れません。


「夫」や「妻」としての務めとか、「嫁」としての務め
に関する規定は、特にないようです。



ひょっとすると、法律上の義務に加え、世間が何となく
期待していると思われるそうした夫や妻、嫁としての
務めや役割を果たす義務を負うこと受け入れて男女の
共同生活に入る意思のことを、最高裁は「社会通念に
従い、客観的に夫婦とみられる生活共同体の創設を
真に欲する効果意思」といっているのかなと思ったりも
します。


しかし、家制度の名残の残る昭和の時代ではないの
ですから、

「同居し、協力(家事の分担や子育ても含みます)し、
貞操義務を守って共同生活をする意思だけでは、婚姻を
する意思があるとはいえない」などと裁判所が判断する
とは思えません。



よって、友情結婚を考えるに当たっては、最低限、
「同居義務、協力義務、貞操義務を負って共同生活を
する意思」があればいい、

逆にこれがないと、婚姻の無効をめぐって争うこと
になったときに負けるおそれがある、と考えておくのが
いいのかもしれません。


次回は、結婚後も同性のパートナーを持つことと
貞操義務について考えてみます。


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友情結婚のための最低限の法律知識1

友情結婚を成功させたい」の記事で、

私は、友情結婚を成功させるために、
結婚生活に対する最低限の認識を持つことを目標に
したいと書きました。


具体的には、まず

1.婚姻から生じる法律上の効果や義務の整理

2.一般的に、結婚生活に伴う現在から将来までの様々な
時間的、経済的、精神的負担についての整理


をしたいと考えています。


1の法律の話については、これは結構しっかり勉強する
必要があると思っています。


というのも、友情結婚をしようと考えている人の
ほとんどは、法律婚(役所に婚姻届を出す結婚)をする
ことを望んでいると思うからです。



事実婚(婚姻届を出さない内縁関係や同棲生活)である
友情結婚をしたい、とはっきり書いて意思表示をしている
人は、友情結婚の相手募集の掲示板でも見かけたことが
ありません。



事実婚ならば、極論をすれば、どんな男女関係を結ぼう
と自由です。


そもそも、国は、法律婚をしている夫婦ではない男女の
関係に対し、いちいち介入しません。


振った、振られたとか、彼氏や彼女を友達に取られた
とか、そんな話については、国は「好きにしてくれ」と
いう態度でしょうし、大半の国民も「好きにさせてくれ」
と考えていると思います。



純情ではない男女の関係に関しても、国は基本的にスルー
します。


バブル時代の死語で、アッシー君、メッシー君、貢ぐ君
という言葉があり、最近では「機能別彼氏」という言葉
を聞くこともあります。


私は、か弱い男の一人として、男性を道具扱いする女性
に対しては大きな怒りを感じますが、このような男女の
関係に対して国が規制をしたことはありませんでしたし、
また、規制をするのは、お節介でバカらしいと考える
国民が大半でしょう。


国が結婚していない男女の関係に対して介入する例として
私が今思いつくのは、未成年者の保護の観点からの規制や
消費者保護の観点からのデート商法などに対する規制くらい
です。
なお、男女間の暴行や傷害などの犯罪は全く別の問題です。



したがって、事実婚である友情結婚であれば、どんな
結婚生活を送ろうと自由なのです。

お互いに同性のパートナーがいても特に問題はないと
思われますし、ずっと別居であってもいいでしょうし、
夫婦が完全に別会計であっても構わないでしょう。


よって、性的マイノリティとして自由に生きつつ、
男女の結婚生活も同時に送りたいと考える人は、本来は、
事実婚である友情結婚をすることを第一に検討すべき
であると考えます。


もっとも、事実婚である友情結婚による結婚生活を
送ることは個人の自由であることと、その結婚生活が
法的に保護されるべき男女の結合関係であると裁判所から
評価されるかどうかは、別の問題です。


共同生活の実態の伴わない事実婚であれば、法的な保護
を受けられる見込みは薄いでしょう。


参考までに、最高裁判所は、

男性Aと女性Bの間で、

1.共同生活をしたことがない、2.それぞれが自己の
生計を維持管理している、3.共有する財産がない、

4.女性Bは、男性Aとの間に2人の子を出産したものの、
子の養育には一切かかわったことがなく、出産の際には、
A側から出産費用等として相当額のお金を受け取っている、

5.両者は意図的に法律上の婚姻を回避している、
6.両者の間に、相手方に無断でその関係から離脱しては
ならない旨の関係存続に関する合意がされた形跡はない、

などの事情の下においては、Aが、両者の関係を突然かつ
一方的に解消し、他の女性と婚姻したことをもって、Bに
慰謝料請求権は発生しない、と示しました。

損害賠償請求事件[平成16年11月18日]



さて、事実婚である友情結婚をすることについて考える
際に重要なことは、どんな男女関係を結んでも自由である
ということと同時に、

「事実婚である友情結婚に対してどのように評価するか
ということもまた、周囲の人の自由である」ということ
です。


先ほどの、アッシー君、メッシー君、貢ぐ君の例で言えば、
私のように女性側に対し怒りを感じる人もいれば、
「利用される男の方が悪い」と思う人もいるでしょう。


同様に、事実婚である友情結婚に対しても、周囲の人から
様々な評価を受けることと思います。


ところで、私のいう「周囲の人」というのは、個人に限らず
私法人その他の私的な集団も含みます。


例えば、あなたの勤務先は、事実婚である友情結婚をどの
ように評価するでしょうか。

評価の内容によっては、思わぬ法律外の「効果」を生む
ことがあり、それがトラブルのもとになる場合も考えられます。


1つ例を示します。

会社によっては、法律婚に限らず、事実婚であっても
異性のパートナーがいる従業員に対して、配偶者扶養手当の
ようなものを支給する会社もあるでしょう。


事実婚である友情結婚をしている従業員が配偶者扶養手当を
受けたとして、その従業員と配偶者の両方が同性のパートナー
を持ちながら結婚生活を送っていることを会社が知ったとき、
会社はどのような対応をするでしょうか。


「そんな結婚生活は普通の結婚生活とかけ離れており、
配偶者扶養手当の支給の対象ではない」

として、今まで支給した手当を返すよう請求してくる
会社もあれば、

「異性のパートナーと生計を共にしているのであれば、
配偶者扶養手当の支給の対象である」

として、そのまま手当を支給し続ける会社もあるでしょう
けれども、どう判断するかは会社の側の自由です。



このように考えると、自分の周囲の人が受け入れて
くれるのであれば、異性と事実婚である友情結婚をしつつ、
同性のパートナーも持ちながら自由に暮らすのも悪くない
ように思えます。

税制は事実婚に厳しいですが、社会保障制度の中は事実婚
にも適用のあるものがありますし。



・・・


ここまで読んでくださった性的マイノリティの当事者の
皆さんは、どういう感想を持ちましたか。


「友情結婚を望む性的マイノリティの考えが分かってない」

と感じた方もいるはずです。



友情結婚をしようと考える人の中には、そもそも、


「事実婚じゃ社会的信用を得られない」

「事実婚じゃ親を安心させられない」

「なぜ法律婚をしないのか問われたときに、答えるのが
いちいち面倒だ」

「結局、異性との事実婚では同性愛のカモフラージュ
としては不十分だ」

「異性との事実婚の生活をしながら性的指向を隠し続ける
多大な労力を掛けるくらいなら、独身のままの方が楽だ」


だから、法律婚による友情結婚が自分には必要なのだ、
と考えて、事実婚の可能性はないと判断した人や、
事実婚については端から考えてなかった人がほとんど
を占めるのだと思います。
(なかなかに自分勝手な理屈ですが・・・)


逆に言うと、世間もあなたも、法律婚制度を信用している
ということなのでしょう。


以下、法律婚である友情結婚の話に移ります。


夫婦の関係は人それぞれですが、法律婚をした男女は、
法律婚をしていない男女の関係とは異なり、法律上の
権利や義務が与えられ、世間も、法律婚をしている夫婦
ならば、そうした法律上の権利を行使し、義務を果たして
いるのだろうと信用するでしょう。



それでは、

「法律婚をした後も同性のパートナーを持つ」

とか

「夫婦は基本的に別居する」

といった比較的多くの友情結婚を希望する者が結婚の条件
として掲げる事柄について、これらは法律婚をした夫婦の
義務に違反しないのか、

また、あらかじめ上記のような事柄についてお互いに合意
した上での法律婚であれば義務違反にはならないのか、
次に検討します。


こうした検討を一つ一つ積み重ねていくことは、意地悪な
人から友情結婚を邪魔される事態を防ぐために、また、
自分自身が犯罪者にならないためにとても重要です。



さて、「犯罪者にならないために」と書きましたが、
これについて簡単に書いて、今回の記事を終わります。


先に書いたように、法律婚には一定の信用があり、法律婚を
したことを記録する戸籍簿にも信用があります。戸籍簿の
信用を害することは、公共の信用を害することであり、
許されません。



刑法157条1項(公正証書原本不実記載等の罪)は、

「公務員に対し虚偽の申立てをして、登記簿、戸籍簿・・・の原本に不実の記載をさせ・・・た者は、5年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」

と定めており、法律に従って婚姻をする意思がないのに
婚姻届を役所に出し、戸籍簿に「○○の戸籍に入籍した」
旨の記載をさせることは、これに該当すると考えられ
ます。

先ほど、お互いの合意があればナントカと書きましたが、
お互いの合意があるともっとマズいでしょう。


友情結婚のような標準的でない婚姻をしようとする人は、
後で自分が損をしないために、法律上の婚姻について
学ぶ必要があるのです。


次回以降、法律上の婚姻の成立とその効果について
民法の規定をもとに書いていきます。


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価値観になじめない人はどう生きたのか

第2次世界大戦の終戦から71年を迎えようと
していますが、ひとつ気になっていることがあり、
ちょっと調べてみようと思っています。


それは、

「戦場に行きたくても行けなかった人たち」は
当時どんなことを考え、戦争の前後を通じて価値観が
変わったのか、それとも変わらなかったのかという
ことです。


「戦場に行って祖国のために戦うことこそ尊い」

と本心から思っていたにもかかわらず、
身体障害や持病のため徴兵検査に落ちた人たちは、
当時の世間の価値観や、自分自身の価値観にも
従うことができなかったことでしょう。


そのような人たちは、
「戦場で祖国のために戦う」という自分の理想を、
どの時点で修正したのか、または修正しなかったの
でしょうか。


また、徴兵検査に落ちた時点で、何らかの劣等感や
負い目を抱えることになったと予想しますが、
このようなマイナスの感情は、戦後において世間の
価値観が変わったことにより、自然と消えていった
のか、それとも残ったままだったのでしょうか。


彼らの語りが記録に残っていれば、それは、自分の
信じてきた価値に従うことができず、しかも戦後に
おいて世の中の価値観も大きく変わっていく中での
マイノリティの語りの記録として、現代社会で生き
づらさを抱える私たちに何らかの示唆を与えてくれる
ものと思います。


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友情結婚を成功させたい

セクシャルマイノリティである男女が、相互の恋愛感情や
性愛ではなく、相互の友情に基づいて結合し、法律上の
婚姻をすることを、友情結婚と呼ぶ人がいます。


「呼ぶ人がいます」と書いたのは、「友情結婚」の単語を
題名に含む書籍や論文を見つけることができず、世間一般
に了解された友情結婚の定義がまだ存在しないと思われる
ことによります(2016年7月末現在)。



私は、友情結婚を含む婚姻ついて学んでみようと思い、
友情結婚をした人や断念したと思われる人が書いたサイト
などを読んだところ、


「友情で結婚するなんて考えが甘い」とか、

「自分の性的指向を無視して結婚することは、自分にも
相手にも嘘をつき続けることである」とか、

「いびつな結婚生活に巻き込まれる親族が気の毒だ」


という趣旨の記述が見られました。


たしかに、そのように言わざるを得ない事例もあるのだ
とは思いますが、それは友情結婚を含む結婚に限ったこと
ではなく、考えの甘い就職や転職をする人、仮面夫婦の
関係を続ける人、凝り固まった価値観に基づく家族介護
で身内を巻き込む人など、そこまで珍しい話でもないで
しょう。

これらは、誰かに迷惑をかけるつもりでわざとするので
ないならば、「そういうこともあるよね」、とか
「人生勉強になったけど、高く付いたね」で済まされる
レベルの話だと個人的には感じます。


なので、友情結婚をしようとする人に対して、特別に
厳しい認識を持つことを求めるのは、変な話だと思って
しまうのです。



おそらく、友情結婚に関する書籍や論文の記述が見つけ
られないのは、いろいろ調査や研究をしても、結局、

「友情結婚? 好きにすればいいんじゃない?
失敗するかもしれないけど。」

としか言えず、調査や研究をする実益に乏しいからなの
だと考えています。



そもそも、世間の人がなんとなく考える「標準的な結婚」が
あるとしても、標準的な動機、標準的な出会い方、標準的
な生活様式、標準的な・・・によらない結婚は、無数に
考えられます。

遺産目当ての結婚、世間体のためだけの結婚、熟年者同士
の結婚、獄中結婚、別居婚、週末婚、終末婚(臨終婚)など
いろいろあるでしょう。


よって、私は、友情結婚は上に書いたような標準的でない?
結婚の1つに過ぎないと考えており、好きにすればいいと
考えています。



ただし、ここからが重要なのですが、友情結婚が標準的
でない結婚の1つに過ぎないということは、言い換えれば、


「友情結婚は、標準的な結婚と同様、法律上の婚姻である」


ということですから、当然に、婚姻から生じる法律上の義務
や、結婚生活に伴う現在から将来までの様々な時間的、経済
的、精神的負担が生じます。そして、そうした負担は、多く
の場合、避けられないか、避けるために労力がかかると思わ
れます。


友情結婚の相手募集のサイトなどを拝見しますと、婚姻から
生じる法律上の義務の一部や結婚生活に伴い通常生じる様々
な負担の一部について、自分は義務や負担を負わない、とか、
相手に義務や負担を負わせない、又は逆に標準的な結婚では
想定されない義務や負担を相手に対して負わせるという
「特別の約束」を提示している人がいます。


例をあげると、

「基本的に別居とする」とか
「お互い財布(家計)は別にする」とか
「共働きが条件」とか
「専業主婦になることが条件」とか
「夫婦間で性交渉はしない」とか
「体外授精で子どもをつくる」とか
「お互いに同性のパートナーを持ってもよい」とか
「私は次男なので自分の親の介護はしなくてもいい」

などが多いでしょう。


このような特別の約束は、夫婦関係がうまくいっている間は
それこそ「好きにすればいい」のだと思いますが、夫婦関係
がうまくいかなくなり揉めごととなったときに、世間に通用
する約束なのでしょうか。

もっと言えば、家庭裁判所で通用する約束なのでしょうか。


あえて例を挙げませんが、友情結婚の相手を募集する人が
提示する特別の約束の中には、あまりに自分勝手のように
見えるものや、想像力が足りないと思うものもあります。


そうした例だけを見ると「友情結婚なんて考えが甘い」と
厳しいご指摘を受けるのも仕方ないのかなと思います。



しかし、自分に対する言い訳を含んでいますが、友情結婚
を考えている1人の性的少数者として、私は、

「そこは大目に見ていただきたい」

と思うわけです。


思春期以降、学校や職場といった性的少数者に寛容でない
環境で過ごし、多数者にはない自己についての悩みのために
脳みそと時間を費やしてきたのですから、異性との結婚生活
について考える時間が同世代の人と比べて少なくなってしま
うことは、仕方のないことと思います。

ましてや、世間の人が考える標準的な結婚が
「男女の自然な性愛に基づく結合関係」であるとするなら、
性的少数者がその考えを前提にして具体的な結婚生活を
イメージすることは、極めて難しいことです。


ですから、友情結婚を考えるようになった人は、失敗談や
批判的な意見は、自分なりに考えるためのネタくらいに受け
止めておいて、

「性自認といった自分の内面だけでなく、世間一般の結婚
生活といった外に目を向けて、自分の人生について考える」

ためのいいきっかけと思って、友情結婚についてどんどん
考えてみたらいいのだと思います。

たとえ一瞬であっても、
「自分の人生には異性のパートナーが必要なのかもしれない」
と考えたことは事実なのでしょうから。



さて、しばらくの間、私の課題は、結婚と結婚生活についての
最低限の認識を持つことです。

具体的には、

1.婚姻から生じる法律上の効果や義務の整理

2.一般的に、結婚生活に伴う現在から将来までの様々な
時間的、経済的、精神的負担の整理

3.1と2で整理した義務や負担を踏まえて、相手と
特別の約束をする必要があるかどうかの検討

をしようと思っています。


「最低限の認識」の内容を決めるのは非常に難しいですが、
実は、もう私としては決めており、次の機会に書こうと思って
います。


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